2021-05-12 第204回国会 衆議院 外務委員会 第12号
それはどういう話かというと、春秋戦国の大国であった斉の国、斉は有名な人がたくさんいますけれども、斉の荘公という方がいらっしゃったときに、大臣の崔杼という方がその君主を殺して、弑虐して、自分のかいらいの人を王様に就けたわけですね。それで、太史という役職があるんですけれども、それは歴史を書き記す人たち、その太史は、崔杼が君主を弑虐したという歴史を書くわけですね。
それはどういう話かというと、春秋戦国の大国であった斉の国、斉は有名な人がたくさんいますけれども、斉の荘公という方がいらっしゃったときに、大臣の崔杼という方がその君主を殺して、弑虐して、自分のかいらいの人を王様に就けたわけですね。それで、太史という役職があるんですけれども、それは歴史を書き記す人たち、その太史は、崔杼が君主を弑虐したという歴史を書くわけですね。
絶対君主、絶対王政の時代と同じ姿勢だというふうに批判されているんですよ。こういう批判について真摯に耳を傾けるべきじゃありませんか。
○黒岩委員 ですから、君主の恩恵ということが制度趣旨ではない、目的ではないということですね。 刑事政策だとおっしゃいましたけれども、その刑事政策について、昭和二十三年に恩赦制度審議会からの最終意見書が出されています。これに四つの意義がうたわれたわけですけれども、まずは一度、四つの意義をわかりやすく説明していただきましょうか。
主として天皇の即位、改元あるいは皇室の慶弔時に際しまして君主の恩恵として行われ、大日本帝国憲法下においても、恩赦は天皇の大権事項とされ、国家又は皇室の慶弔禍福に際して行われてきました。 以上でございます。
血筋がつながっているということの確かさとともに、どこからさかのぼってもルーツが明確である君主が現存しているということが、世界史上類例のない驚異なのです。 皇室の男系継承とは、お父さんが天皇家の血筋であることであり、お父さんをさかのぼっていくと神武天皇に行き着くこと、これが男系継承の意味であり、日本の天皇が天皇である定義、天皇の天皇たるアイデンティティーなのです。
○政府参考人(畝本直美君) 恩赦の歴史は古く、奈良時代に遡ることができまして、主として天皇の即位、改元あるいは皇室の慶弔時に際して君主の恩恵として行われ、大日本帝国憲法下においても恩赦は天皇の大権事項とされ、国家又は皇室の慶弔禍福に際して行われてきました。
したがって、君主あるいは政府首脳を非合法的な実力手段によって交代させるにすぎない政治変動は、統治形態及び社会構造の根底的な変革を伴わない限り、通常は革命の概念には含まれないと解説されております。 産業革命や技術革命といった、ある状態が急激に発展、変動するとの意味で使われているのであろうと推察しておりますが、これらは現に社会を大きく変える変動があったことを受けて使われた言葉でございます。
また、それによって、従前のように首相が君主に要請して議会を解散することは不可能となり、女王大権である議会解散権も廃止をされております。キャメロン前首相は、私の質問に対して、議会任期を五年に固定することは、政権が安定し、首相が五年間の計画を立てることができるので、よいことだと思うと述べております。
毎日新聞がスクープした政府案は、天皇は君主という一条から始まり、内外から批判を浴びました。そのもとで、国民主権の原則を打ち出したマッカーサー草案が提示されましたが、国体護持派は、主権を有する国民とあった部分を日本国民至高の総意という文言にした憲法草案を国会に提出し、最後まで抵抗しました。
元首といえば大統領も君主もある、元首なる言葉に天皇としてふさわしい尊厳性があると考えるのは間違いである、こういう記述があります。 私は、象徴から元首になるのは、言ってみれば、わかりやすく言うと格下げだ、このように考えている次第であります。
しかし、この連邦国家的な幕藩体制も、明治維新を経て、天皇を中心とした立憲君主制へと移行しました。薩摩や長州を中心にした日本の指導者たちが選んだ国家統治の方向性は、新政府のもとに権力を集中させて、外部からの脅威に対峙し、列強に伍していく体制をつくること、富国強兵を可能にする中央集権制度であったと思うのです。
「國君ノ臣民ニ於ケル、猶ホ父母ノ子孫ニ於ケルガ如シ、即チ一國ハ一家ヲ擴充セルモノニテ、一國ノ君主ノ臣民ヲ指揮命令スルハ、一家ノ父母ノ」、これ何と読むんですかね、「慈心ヲ以テ子孫ニ吩咐スルト、以テ相異ナルコトナシ」とされています。
ただし、引っ越しも断交もやっぱり事実上八百万人ぐらいの人が往来しているからできない隣国だということで、これは戦略的利益を共有しているというふうに総理の施政方針演説でも言及しているんですけれども、この意味はやっぱりある程度また考える必要があると同時に、日本と韓国、体制は同じは同じなんですが、ただ、大統領制と議院内閣制、立憲君主制と共和制というふうに、かなり違う側面もあるということを知るべきです。
君主制の時代、あるいは君主主権と呼ばれる時代にありましては、君主が、国民代表たる議会に圧力をかけるために解散権を行使するという時代がありました。昔の君主主権の時代においては、議会の解散権は議会に対する君主からの懲罰という色彩があったという指摘もあるところでございます。
それから、これだけの人間がいるのに、誰一人約束を破って返事もあれもしない、何かこう専制君主の時代に戻ったんじゃないかというふうに私は考える。 今の農業にしても関税にしても、確かに日本のトヨタも日産もホンダも、自動車というのは七五%が部品代です。ですから、あの三大自動車会社の部品が、アメリカの部品会社がみんなメキシコに移ってしまった。
いわゆる八月革命説から大日本帝国憲法の改正という手続をとった日本国憲法でありますが、大日本帝国憲法は、立憲君主制のもと、国会開設を目指した自由民権運動、アジア初の憲法制定、そして、大正デモクラシーや普通選挙法などの民主主義の実現という成果を上げる一方、天皇大権を利用した軍部などの台頭を抑えることができず、報道の自由などもないがしろにされ、明治憲法体制の全面的崩壊現象が昭和二十年に起きたと考えております
修正第一条は、ヨーロッパの絶対君主制や宗教迫害から逃げるために大西洋を渡った建国の父たちの基本的な価値観を反映していると言えます。 この原則によって、幾ら過激であっても思想の表現、例えばナチス風にユダヤ人をやじるデモ、クークラックスクランの十字架燃やし大会、同性愛者は罪人であると叫ぶキリスト教原理主義者のパレードを行う権利は、全て憲法上保障されています。
私の言葉に誰も逆らわないのが楽しいという言葉があります、もし君主が間違ったことを言っても逆らう者がなければ、これこそ一言で国を滅ぼす言葉であります。 もし、安倍政権が、イエスマンばかりを集め、逆らう者を許さず、正当な批判に耳を傾けないならば、地方創生の失敗のみならず、国の滅亡をも招くことになりましょう。
イタリアは、第二次世界大戦敗戦後の国民投票により君主制を廃止して共和制へ移行、一九四八年の共和国憲法で上院議員は直接選挙による選出となりました。それまでは王が任命する議員により構成されていました。 イタリアの二院制議会は、合わせ鏡のように二つの議院は似ています。
それは、大日本帝国憲法のまさに基本原理と言われる天皇主権の原理、これもドイツの君主制原理を日本に導入して、天皇主権というふうに、その当時の日本の学界、それから政治の世界では呼んでいたものでございますが、これは変えられない、明治憲法の改正手続を経ても変えられない、そういう考え方がとられておりました。 以上です。
だから、共和制を君主制に戻すだけじゃなくて、つまり、そういう意味でいえば、なぜそうなったかといったら、フランスの憲法、近代立憲主義は市民革命の後できるわけですよ。それまでの中世立憲主義のあれでいえば、王様がまだいた時代や何かのものとは違って、近代立憲主義は、基本的に一旦、朕は国家であるというものの首を切って、その後、抽象的な人民ないし国民というものが主権の担い手であると。
それから、フランスの憲法の八十九条五項には、共和制は変えられない、君主制に戻せないということ。イタリア憲法の百三十九条も、共和政体はこれは触れない。 だから、憲法改正は何でもできるし、自分の思いや国柄や自分の思想や、そのときの国民のわっと盛り上がったムードで憲法に書き込むことは、実はそれぞれの憲法は慎重に避けている。避けているどころか、むしろ禁止しようとすることが普通である。
春秋時代の魯の君主、哀公は、飢饉で財政が窮乏しているが、どうしたらよいかと、孔子の弟子、有若に問うたところ、有若は、どうして十分の一税、減税を実施しないのですかと答えました。